函館教会の歴史
<日本基督教団函館教会の沿革>
日本基督教団函館教会は、1874年(明治7年)1月26日、アメリカメソジスト監督教会のM・C・ハリス宣教師の伝道に始まります。 これが、「函館美以教会」の起源となりました。当時、キリシタン禁令の高札が撤去されて日も浅く、函館は外国人殺害事件が起きるなど、不穏な世情でした。同年8月には、ハリス宣教師から2名の日本人が洗礼を受け、北海道初プロテスタントの受洗者となりました。
1877年(明治10年)には菊池卓平が初代牧師に就任しました。
1907年(明治40年)には、日本メソジスト教会結成に伴い、日本メソジスト函館教会と改称し、さらに、1941年(昭和16年)には現在の日本基督教団(日本キリスト教団)の所属となりました。
<日本基督教団函館教会の建物>
日本基督教団函館教会の建物は、1877年(明治
10年)に現在地に最初の会堂を落成しました。
その2年後の函館大火で会堂は類焼してしまいます。函館は昔から火災が多い町で、1886年(明治19年)、1909年(明治42年)に再建した会堂も焼失しました。
現在の会堂は、1921年(大正10年)の函館の火災による会堂類焼に伴い、1931年(昭和6年)に建築されたものです。 北海道帝国大学(現北海道大学)農学部本館や理学部本館を設計した萩原惇正による鉄筋コンクリート造2階建てのもので、現在に至っています(施工者は伊藤 組)。
<日本基督教団函館教会の付記>
1882年(明治15年)2月にハリス宣教師夫人による働きかけで開設された女学校が、現在の遺愛女子中学・高等学校です。
1954年(昭和29年)9月には、青函連絡船の洞爺丸海難事故が起こりました。遭難者の一人A・R・ストーン宣教師(救命具を人に譲って亡くなったとされる)が、洞爺丸に乗船した日に最後の説教をした教会でもあります。
日本キリスト教団函館教会は、統一協会(統一原理)、エホバの証人(ものみの塔)、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)とは一切関係がありません。正統的なキリスト教信仰に立つ教会です。その中でも、東方教会(ギリシャ正教やロシア正教など)に対して、西方教会に所属します。さらに、その西方教会のうち、ローマカトリック教会から、16世紀に分かれた福音主義(プロテスタント)教会です。どなたでも礼拝に出席できますので、どうぞお出かけください。